2011年9月22日木曜日

知床半島から網走ーーおほーーつくーー

写真は→
日本一の珊瑚草群生地ですけど今年は肥料を変えて大失敗。真っ黒珊瑚になっちゃった。

それでもできる、記念撮影渋滞。


宿はほんとに大好きでした、動物と戯れられます。

哀愁たっぷりの白馬。(二十歳)

知床半島の風景。蝦夷鹿チャンはどこでしょう?

知床半島から網走にかけての写真です。
私は一晩ですけど、牧場に泊れてしあわせでした。あと犬と羊もいました。
面積にたいして動物が少ないから、みんないっぱい食べて、おでぶチャンなんだそうです。

ああーやっと始発のモノレールが動き出しそうなので行きます。

ミズウミズウミズウミ〜

道東は豊かな自然の宝庫です。

摩周湖 硫黄山 屈斜路湖 知床1、2、3、4、5湖に行きました。

まあ、全部きれいでした。
こんな雄大な自然が日本にあったんだ‥…
という再発見な気分です。

阿寒湖からバスで3人きりで一緒だった老夫婦にジャガイモ串とコーヒーと温泉玉子をごちそうになりました。私はバナナパンをあげました。色々話せて楽しかったです。

それにしても、北海道中でライダーやチャリだーやカブで旅している人を見ます。みんなカッコ良くって気持ちよさそうです。
自分は北海道の大きさや不便さや素晴らしさを分かってなかったので、今度また来たいです。

デーデーぽっポーはやまばとの鳴き声です!

写真は→
松山千春で町おこし

いっぱいあるよ、もらって困る熊の置物 in AKANKO。

アイヌの町(コタン)阿寒湖

なんて優雅な早朝カヌー〜。

友達は、事故から復活したので、私を連れ回してくれました。近所の温泉と、行きつけのジンギスカン焼き肉です。ご苦労様なことに、半年ぶりのお休みだって!

私はやーぱりアノ臭いが苦手だったんですけど、蒙古斑の肉は生でも旨くて今まで本当にいいジンギスカン食べてなかったんかと思いました。

でーでーぽっぽ という北海道ちょい高級スーパーで売ってるヨーグルトもぜひ食べて下さい。衝撃的な濃厚さ☆
あと、共働舎社のチーズは本当に美味しいです。
友達は土地のコンサルティング?&設計&現場にも入って仕事してるんですけど今はその真面目で誠実な!経営理念を持つ共働舎社の再建をやってるそうです。

ごらんあれ〜。
http://www.kyodogakusha.org/aboutus.html

おいしいものを作ってくれる北海道の人々を応援したいっす!

オイネトー、阿寒湖に行きました。霧や小雨で、あの世にも美しい色は見えませんでした。冬に全面凍る湖でワカサギ釣りをしてみたいもんです。

その日はさくらちゃんという19歳にして北海道に移住したいという北海道大好き娘に会いました。ホント若いのにわきまえててしっかりしてます。お湯割りをキューと飲んでましたし!

阿寒湖からは友達と別れて一人旅です。

交通事故

実は、9日間の旅を終えて羽田に帰ってきました。
昼の飛行機はほとんど欠航だったけど運良く最終便は飛びました。でも、都内へ行く交通機関がないから、今日は空港で始発まで過ごして朝市で姉ちゃんに会いに行きます。


旅行は、ニセコから札幌に戻ってきてから友達に会うために帯広に向かいました。
でも、待ち合わせの場所についても現れませんでした。
すると「なおちゃんですか?]と知らない人から声をかけられて、聞くとそれは同僚の方で友達は事故にあって入院しているといわれました。
車はもう廃車。グチャグチャなのに奇跡的に、友達に怪我はありませんでした。
ホントにびっくりしましたが、病院で元気そうな友達を見て安心しました。

旅の途中で合った老夫婦が、「私たちの人生は残り少ないから写真はいらないの」とおっしゃっていましたが、ほんとに年とか関係なく、人生いつなにが起こるかわからないなと思いました。
久しぶりでしたが、友達に会いに来て良かったです。次あえないかもしれないなと思うと、当たり前のことが貴重に感じますわ。

十勝のだだっ広い平野の中に、古民家の友達の家はありました。

写真は→
友達の車

無事だった友達

雑誌に載ってた被災地一覧表

2011年9月19日月曜日

ありがとう ちずこさん

写真は
黒いトウキビで、お歯黒をするチズコさん。

チズコサンともお別れです。いろんなことを教わりました。余った農作物を農家から引き取り自分流に味噌やジャムやサルサのたれやラー油まで作ってしまうパワフルさ。
生ゴミは全て飼っている鶏のごはんに。
おおらかでチャレンジ精神旺盛なお人柄でエコロジーなこの方の元でにもっといれば色々学べただろうと思います。またおいしい漬け物を食べにいきたいものです。

ありがとうございました。
朝はあわただしく、ハーブと野菜を収穫して、道の駅に出荷しにいきました。

シロクマ食堂のうには旨いぞ!

しゃしんは....
元気に育つ鶏 卵をありがとう!

ちずこさんの色々な作品。 ごはん何ハイでもいけます!

ウニパスタ

ウニ丼

本間さんとかわいいのれん

お店の中にはいっぱいシロクマが。


ちずこさんと野菜を納品していると、フラノからきた、レストラン食堂を経営しているという本間さんに会いました。

ニセコのおいしい野菜と、わき水や牛乳をわざわざ小樽から買いにくるそうです。お願いして、乗せてもらうことになりました。
道でほんとに牛乳本来の味がする牧場のミルクや、バニラソフトまでご馳走になりました。

本物を作っている生産者と、自分を待っている消費者をつなぐことがやりがいだとおっしゃっていました。

本間さんにはなんとお店まで連れて行ってもらい、名物のウニパスタとウニ丼までご馳走になってしまいました!それよりも何よりも、料理人の命である作り方や、哲学までレクチャーしてもらいました。

ちょうどたかとしがきて、フライパンで出すパスタがテレビで紹介されたそうです。
旨いですumai!うまいです。ウニパスタ、申し訳ないくらいに。食べさせてあげたいっすよ!
北海道で素潜りでウニをとってきた本間さん認める積丹のウニだそうです。

シロクマ食堂をよろしく!!!
川のせせらぎの側にある素敵な木造のお店です。
http://www.otarushirokuma.com/


私はバスで札幌に戻って帯広に向かいます。

2011年9月16日金曜日

食材豊富なニセコ

うろうろ家の中を行ったり来たりしている猫がいます。もう、何往復目でしょうか。うろちゃんと呼びますよ。

今日は家での作業を色々しました。
フィジョアみたいな実のジャム作り。
何回も味見をしてもらって、甘酸っぱくできました。
さゆみちゃんとにんにくを大量にむいてニンニク味噌の下準備しました。
tomatoは取り放題なので腐っていきます。皮むいて煮て、tomatoソースを作りました。
ネパール人でイケメンとおばちゃんに評判のナビンサンとおばちゃんが大根の漬け物の仕込みの手伝いに来ました。金沢だったらのと娘っと言う種類のピンクの大根です。

最後の夜なんで、トマトナスパスタとカボチャ煮作りました。ベーコンは手作りで、材料はほとんど村内でとれたものです。
北海道カボチャは喉に詰まるほどホクホクです。

引きこもりすぎです。晴れないかな〜。

2011年9月14日水曜日

漬け物部屋

ええと、今ニセコにいます。
チズコさんという、農家の方で、手伝っています。
昨日は修学旅行の東京の高校生が来ていて一緒にご飯食べました。東京の高校生はなかなかしっかりしてました。
今日はツリーハウスで寝るか、プレハブ小屋で寝るかです。ツリーハウスは目覚めの景色が良いがガが多い。プレハブは朝コッコの声で目覚めます。

カボチャとメロンを近くの農家にもらいました。ちょっと変形で出荷できないそうです。
チズコさんは保存食とかジャムを作って道の駅とかに出品してます。そのバリエーションはものすごいです。

今度、漬け物大会に出品するのでアイデア募集中だそうです。

2011年9月13日火曜日

ボランティア犬サスケ

サスケは梅本さんという東北をボランティアしてまわっている方の相棒です。みんなの癒やし犬です。


http://www.youtube.com/watch?v=-iqifKNGwU0&feature=youtube_gdata_player
自分も、大船渡が依然どんな町だったか分からなかったんで、この動画を見ればちょっとは様子が分かると思います。
ボランティアの方は、大船渡名物のカモメの玉子をお土産で買って帰って行きます。わたしも何か大船渡をアピールできるものを買おうと思ってたら地元の人が、他にもいいお茶菓子があると教えてくれました。
近くのスーパーにも売っていて、その会社は家族4人だけでやっていて、震災で工場を流されてもなお、仮の工場で製造しているそうです。会社の名前を忘れてしまいました。


大船渡の記事。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110906_P
大船渡名物は、サンマラーメンです!
http://blog.livedoor.jp/sansannokai/lite/?p=2
さんさんの会のサイトです。

私は今、ボランティアを終えて、一旦東京で過ごし、今北海道のプレハブ小屋にいます。

寒くて怖いですが、明日も頑張ります。

2011年9月10日土曜日

仮設住宅

私が参加しているボランティア団体は、いろいろなことを考慮して弁当を配っているそうです。
被災者が一定の年齢以上であること、母子家庭であること、車がないこと、被災者が仕事を見つけられないことなどです。
仮設住宅は、さまざまなところにあり、大体は被災地の地域の方の元の住まいの近くに建設されています。ただ、津波被害を受けないように高台の上や、急な坂の頂上などに建てられているため一人暮らしの足腰の弱いお年寄りがどうやって外を出回って歩けるだろう?と思います。
一人暮らしのお年寄りにはなるべく声をかけて、お話をするようにしています。でも、時間内にお弁当を配らなくちゃいけないし、待っている人がおられるのであいさつ程度になってしまうのが現状です。
「時間があればゆっくりしていけばいいのに」「日中は家族は出ていて、ずっと一人ぼっち」などの声を聴きました。
ボランティアの人に、一人暮らしのお年寄りの住まいはガスメーターの動向もチェックするようにいわれました。それは、阪神大震災で起こった孤独死を防ぐためだということです。
仮設住宅には、集会所のようなみんなが集まれる場所がどこも作られているそうです。車いすの方の住まいには、スロープも設置されています。でも、場所によってはアスファルトが整備されてないので、車いすが入りにくいところもあります。



いつも、お弁当を届けるときはみなさんいつも笑顔で挨拶してくれますが胸の内はどんなだろうと思います。自分は元気でいなきゃなと思いました。

震災のイベント用に鶏肉50kgの仕込みをみんなでしました。
大船渡の皆さんは、震災で多大な被害にあわれましたが決して海の悪口は言わない、海から恩恵を受けてきたから、と地元ボランティアの方が言っていました。

2011年9月9日金曜日

今日のお弁当は、
銀だらの塩焼きとピーマンの肉ずめとモヤシの和え物などでした。
賄いは中華の職人さんが巨大な中華鍋でチャーハンを作ってくれました。 10人前位の量を一度に作っていてやらせてもらいましたが、量を大分減らして両手でやっとちょっと出来るくらいです。
今日は小石浜地区というところに配達に行きましたが、3時に出発して3時間もかかってしまいました。
仮設は至る所にあって、大半は学校のグランドに建てられているので、生徒の声や、楽器の音がします。
配っているのはそれでもほんの一部です。
大船渡では2751けんの仮設住宅で3800人の被災者が暮らしているそうです。 30箇所に仮設住宅があります。

2011年9月8日木曜日

弁当づくり

7日は参加しているサンサンの会の弁当づくりに参加しました。この会は震災当初は炊き出しを避難所で行い、今は仮設住宅に移られた被災者にお弁当を届けています。

活動の流れは、朝戻って来た弁当箱を洗浄し、みんなでふきます。
弁当はベテランの料理人気方が献立を考えます。この方々は、自らも被災されお店を失いましたが、みんなの中心になって明るく指導してくれます。まかないも、弁当も、すべて手作りで本当に美味しかったです。
全国から届いた寄付の食材でボランティアみんなでお弁当を作ります。
まかないを食べてから、みんなで330個の弁当を盛り付けます。多い日で500こつくるそうです。
詰め終わったら、3チームに別れて配達します。
私は陵里地区という、山を越えたところにある部落に届けに行きました。一軒ごとに、声をかけながら渡していくと、皆さんにいつもありがとうございます。と声をかけられます。
この会は、一人暮らしのお年寄りなど、孤立してしまいそうな人々に声をかけたり、話を聞いて、生活支援が必要な人を見つけて、行政に働きかけるという役割もあるそうです。
震災から半年がたち、失業保険が貰える期間も終わりそうな時なので、まだまだたくさんの問題があるそうです。

中学校や小学校のグランドに小さなまちが出来たみたいに避難所はあります。自分たちが届ける側なのに、おばあちゃんにアメを貰いました。

まだまだたくさんありますが、また書きます。

2011年9月7日水曜日

岩手県はいいところ。

おはようございます。6日の朝に、大船渡につきましたが火曜日は、活動施設があいてないので休みでした。
サンサンの会というボランティアに参加させてもらうのですが、山本さんが、被災地を案内してくれました
大船渡は、約170人の死者が出て、今でも150名ほどが行方不明だそうです。地盤は50cmさがり、海辺の至る所でかんすいしていて通行不可能でした。
かつての飲み屋街だった通りは、完全に廃虚化していて、復興のめどは立っていなさそうでした。
盛から気仙沼までの電車はとまっており曲がったレールの撤去作業と瓦礫の片付けをしていました。
大きな船が、港からだいぶ離れた内陸部に乗り上げています。津波の被害はまだまだ至るところでみられます。
陸前高田は、特にひどく、1700人死亡、1500人が今でも行方不明です。ここはまるで原爆が落ちた後の焼け野原のようでした。橋や道路はまるごと流されて、歩道橋の一部がかすかに残っています。田んぼは塩害で使い物にならないそうです。運動スタジアムは、瓦礫を集める場所として使われていました。ここは、内陸10kmまで津波がおしよせて来たとことなので被害の範囲が広かったです。

天気はすごくよくて、リアス式海岸という土地柄、入り組んだ山と海が見渡せました。けれど、この地形のために押し寄せた波は跳ね返っても、逃げ場がなく、力を増して湾にまで押し寄せて甚大な被害をもたらしたそうです。

大船渡の人が誇りに思う、地図にも載っていた入江の堤防は、完全に破壊されていました。

2011年9月5日月曜日

広島→岩手

今日いよい出発です。ボランティア保険に入って、新幹線で東京駅までつきました。ホントに寝れます。いつの間にか着いていました。
友達の寝袋を借りるために職場の霞ヶ関まで来ました。
地下鉄にはまともに乗れた試しがないので、たったふた駅ですが何度も駅員さんにききました。
霞ヶ関は、独特の雰囲気ですね。省庁で働く人用の駅のようでした。友達も遅くまで働いているようでした。
発電とか、被災地の事とか、国レベルの問題が山積みだそうで、頑張ってほしいと思います。

私は庶民レベルでがんばります。

やっとバスが出ました。池袋をぶらぶらしたので、肩が痛いです。

2011年9月1日木曜日

blog開設に向けて

こんにちわ。このたび、安否確認のためにblogを書きます。携帯からでもできるみたいなのでやってみます。
ただ、問題は自分が見るだけならいいんですけどほかの方にも見られるとなると正直に書けるかどうかです。自分が見たもの、感じたものを正直に書いていけたらと思います。