ラベル 震災 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 震災 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年9月13日火曜日

ボランティア犬サスケ

サスケは梅本さんという東北をボランティアしてまわっている方の相棒です。みんなの癒やし犬です。


http://www.youtube.com/watch?v=-iqifKNGwU0&feature=youtube_gdata_player
自分も、大船渡が依然どんな町だったか分からなかったんで、この動画を見ればちょっとは様子が分かると思います。
ボランティアの方は、大船渡名物のカモメの玉子をお土産で買って帰って行きます。わたしも何か大船渡をアピールできるものを買おうと思ってたら地元の人が、他にもいいお茶菓子があると教えてくれました。
近くのスーパーにも売っていて、その会社は家族4人だけでやっていて、震災で工場を流されてもなお、仮の工場で製造しているそうです。会社の名前を忘れてしまいました。


大船渡の記事。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110906_P
大船渡名物は、サンマラーメンです!
http://blog.livedoor.jp/sansannokai/lite/?p=2
さんさんの会のサイトです。

私は今、ボランティアを終えて、一旦東京で過ごし、今北海道のプレハブ小屋にいます。

寒くて怖いですが、明日も頑張ります。

2011年9月10日土曜日

仮設住宅

私が参加しているボランティア団体は、いろいろなことを考慮して弁当を配っているそうです。
被災者が一定の年齢以上であること、母子家庭であること、車がないこと、被災者が仕事を見つけられないことなどです。
仮設住宅は、さまざまなところにあり、大体は被災地の地域の方の元の住まいの近くに建設されています。ただ、津波被害を受けないように高台の上や、急な坂の頂上などに建てられているため一人暮らしの足腰の弱いお年寄りがどうやって外を出回って歩けるだろう?と思います。
一人暮らしのお年寄りにはなるべく声をかけて、お話をするようにしています。でも、時間内にお弁当を配らなくちゃいけないし、待っている人がおられるのであいさつ程度になってしまうのが現状です。
「時間があればゆっくりしていけばいいのに」「日中は家族は出ていて、ずっと一人ぼっち」などの声を聴きました。
ボランティアの人に、一人暮らしのお年寄りの住まいはガスメーターの動向もチェックするようにいわれました。それは、阪神大震災で起こった孤独死を防ぐためだということです。
仮設住宅には、集会所のようなみんなが集まれる場所がどこも作られているそうです。車いすの方の住まいには、スロープも設置されています。でも、場所によってはアスファルトが整備されてないので、車いすが入りにくいところもあります。



いつも、お弁当を届けるときはみなさんいつも笑顔で挨拶してくれますが胸の内はどんなだろうと思います。自分は元気でいなきゃなと思いました。

震災のイベント用に鶏肉50kgの仕込みをみんなでしました。
大船渡の皆さんは、震災で多大な被害にあわれましたが決して海の悪口は言わない、海から恩恵を受けてきたから、と地元ボランティアの方が言っていました。

2011年9月8日木曜日

弁当づくり

7日は参加しているサンサンの会の弁当づくりに参加しました。この会は震災当初は炊き出しを避難所で行い、今は仮設住宅に移られた被災者にお弁当を届けています。

活動の流れは、朝戻って来た弁当箱を洗浄し、みんなでふきます。
弁当はベテランの料理人気方が献立を考えます。この方々は、自らも被災されお店を失いましたが、みんなの中心になって明るく指導してくれます。まかないも、弁当も、すべて手作りで本当に美味しかったです。
全国から届いた寄付の食材でボランティアみんなでお弁当を作ります。
まかないを食べてから、みんなで330個の弁当を盛り付けます。多い日で500こつくるそうです。
詰め終わったら、3チームに別れて配達します。
私は陵里地区という、山を越えたところにある部落に届けに行きました。一軒ごとに、声をかけながら渡していくと、皆さんにいつもありがとうございます。と声をかけられます。
この会は、一人暮らしのお年寄りなど、孤立してしまいそうな人々に声をかけたり、話を聞いて、生活支援が必要な人を見つけて、行政に働きかけるという役割もあるそうです。
震災から半年がたち、失業保険が貰える期間も終わりそうな時なので、まだまだたくさんの問題があるそうです。

中学校や小学校のグランドに小さなまちが出来たみたいに避難所はあります。自分たちが届ける側なのに、おばあちゃんにアメを貰いました。

まだまだたくさんありますが、また書きます。

2011年9月7日水曜日

岩手県はいいところ。

おはようございます。6日の朝に、大船渡につきましたが火曜日は、活動施設があいてないので休みでした。
サンサンの会というボランティアに参加させてもらうのですが、山本さんが、被災地を案内してくれました
大船渡は、約170人の死者が出て、今でも150名ほどが行方不明だそうです。地盤は50cmさがり、海辺の至る所でかんすいしていて通行不可能でした。
かつての飲み屋街だった通りは、完全に廃虚化していて、復興のめどは立っていなさそうでした。
盛から気仙沼までの電車はとまっており曲がったレールの撤去作業と瓦礫の片付けをしていました。
大きな船が、港からだいぶ離れた内陸部に乗り上げています。津波の被害はまだまだ至るところでみられます。
陸前高田は、特にひどく、1700人死亡、1500人が今でも行方不明です。ここはまるで原爆が落ちた後の焼け野原のようでした。橋や道路はまるごと流されて、歩道橋の一部がかすかに残っています。田んぼは塩害で使い物にならないそうです。運動スタジアムは、瓦礫を集める場所として使われていました。ここは、内陸10kmまで津波がおしよせて来たとことなので被害の範囲が広かったです。

天気はすごくよくて、リアス式海岸という土地柄、入り組んだ山と海が見渡せました。けれど、この地形のために押し寄せた波は跳ね返っても、逃げ場がなく、力を増して湾にまで押し寄せて甚大な被害をもたらしたそうです。

大船渡の人が誇りに思う、地図にも載っていた入江の堤防は、完全に破壊されていました。

2011年9月5日月曜日

広島→岩手

今日いよい出発です。ボランティア保険に入って、新幹線で東京駅までつきました。ホントに寝れます。いつの間にか着いていました。
友達の寝袋を借りるために職場の霞ヶ関まで来ました。
地下鉄にはまともに乗れた試しがないので、たったふた駅ですが何度も駅員さんにききました。
霞ヶ関は、独特の雰囲気ですね。省庁で働く人用の駅のようでした。友達も遅くまで働いているようでした。
発電とか、被災地の事とか、国レベルの問題が山積みだそうで、頑張ってほしいと思います。

私は庶民レベルでがんばります。

やっとバスが出ました。池袋をぶらぶらしたので、肩が痛いです。